むらふぁけ -murafake- (移行調整中)

ムラカミロキ -MurakamiLoki- nzchao.Exp Official Blog

ネットで会おうねっ、と


おもむろにスカイプとついったー始めてみた。
しかし知り合いがあまりにも少ないそして見つからないなので寂しいばかり。


Skype
[SkypeID] nzchao
[表示名] ムラカミヒロキ


Twitter
http://twitter.com/nzchao


なので誰かやってたら声かけてやって下さい。
というかどっちも使い方がイマイチよく解ってません。
そしてうちにはwebカメラもマイクもついてません。
挙句そんなにログインしなそうだけれど。




webコミュニケーションも色々変わってるんだなーという感想。
前々から思っていたのだけれど、ネット上のコミュニケーションて
どんどん実生活とリンクする割合が増えてる気がする。
パソコン通信はやってない通ってないので解りませんが
インターネットが一気に普及してきた頃(90年代半ば?)
とかって、もっとweb上てのは実生活とは違う、
もう一つの異空間な要素が大きかったように思う。(自分だけかもしれないけど)
もちろん現実の知り合い同士が連絡するのにも使われていたけれど
それはメールや会員制掲示板なんかの、閉じられていた一部の空間内であって。
基本的にはハンドルネーム必須で本名明かさず。
結果無意識に「ネット上の自分」というあいまいな別人格が
「ネット上」という異空間でコミュニケーションをとっているような
妙な不思議さがあった。ネカマなんてのも流行ったし。
2ちゃんねるとかの匿名掲示板もそういう背景の中で
生まれ盛り上がって来たように思う。
だから初めて行くOFF会てのは凄い違和感があったのだ。
もちろんまだそういう要素は色濃くあるんだけれど。


で、そうこうしている内に日記サイトからwebblogの流れがあって
個人的に革新的だったのがSNS、主にmixi
幾ら名前だけの会員制サイトとはいえ、
本名や大体の住所、所属や経歴まで多くの人がweb上に上げていたのには
個人的にかなり驚きだった。
これは完全にインターネットが実生活の延長として
位置づけられ始めたという事なんだと思う。
かたやその頃、情報ソースの方にも変化が生じてきて
かつてネット上で何らかのニュースが話題になった時
「ソース出せ」って言ってマスコミや公的機関の
情報を裏付け、情報元に使っていた。もちろんこれは今でも変わらない。
でも何が変わってきたかと言うと
マスコミ側がネット上の話題を情報ソースとして
扱う割合が格段に増えてきたのだ。
これは情報元としての立ち位置は違えども
対等な相互需要が確立しつつあるという事で
今までは
○マスコミが取り上げる→ネットでも話題に
○ネットで話題になる→ネットで話題になったまま、マスコミ無視。
だったのが
●マスコミ取り上げる→ネットで話題→それをマスコミ取り上げる
●ネットで話題→それをマスコミ取り上げる→更にネットで話題
というようなことになって
相互逆輸入現象が絶えず起きているとも言えるのだ。


話がそれた、閑話休題


でまあそんな風にインターネットは実生活との概念的な融合
を着々と進んでいる気が個人的にするのだが
(もちろん情報の真偽は置いといて)
今回始めてみたTwitterの何が面白いかと言うと
コミュニケーションと独り言の隙間をついている点で、
本人は必ずしも誰かに何か伝えようとする気がなく
チラシの裏、メモ、独り言として発言投稿した物が
他人の目に触れる事で話のネタとなり
話題を提供、拡散し、それが新たな独り言となる。
つまりこれは「伝えようとする意思」は問題ではなく、
「発言の内容」だけで純粋に伝わっていくツールとも言える。
いかにもネットの本質を見抜いたツールである。
これがTwitterの言う「ゆるさ」の根幹だと思うのだが。
Twitterの基本設定は在住国と名前くらいで
mixiほど「個」の要素が強くない。が
その「つぶやき」は誰に伝えるでもない故に
よりその人物の内面が出る時がある気もする。


結局ネット上というのは実生活の延長ではなく、その一部であり
web上のコミュニケーションで現れるのは
自分の本質的な内面でも、自分そのものでも
自分と異なる別人格でもなく
「切り取られた自分の一部」なのかも知れないなあと
なんとなく思ったのでした。


ちなみにSkypeはテレビ電話の出来るメッセです。
文章荒れてますね。読みにくくてすいません。



p.s
この春から旅立つ多くの友人知人へ
頑張ってくれ。君達が俺にとって少しでも
住みよく面白い世の中を作ってくれる事を無責任に期待している。
おめでとさん。