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自家現像フィルムだけの映画上映

2011 11/18(金), 11/19(土)

東京 大久保 芝田じゅん 舞踏小劇場
自 家 現 像 フ ィ ル ムだ け の 映 画 上 映


11月18日金曜日 start19:00
11月19日土曜日 start17:00


入場料: \1,500-



上映予定作品


8ミリ自家現像映画プログラム(石川亮 責任編成)約44分


※石川亮
【undercurrent】2011/5min/single
【Drift】2011/5min/single


※新井潤峰
【60】2011/3min/single
【他人の顔(**新聞社創刊75周年記念写真帳より)】2011/3min/super


※ムラカミヒロキ
【3分56秒のモラトリアム】2011/4min/single/生演奏(朗読)


※ 清成晋太郎
【鬼火】2011/5min/single


※徳永彩加
【センター☆センター】2011/4min/super8
【agitation/攪拌】2011/3min/super8


※水野裕基
【馴化】 2011/7min/super 24コマ


森岡千織
【リンス・イン・シャンピー】2011/5min/super




16ミリ自家現像映画プログラム(太田曜 責任編成)約57分


能登
【夢のフランス】(16mm/color.)2009/6min/silent
【ブラッケージの夢 3・4】2011/9min./silent


※水由 章(みずよし あきら)
【IN FOG】2010/5min./optical sound
【流れるように紡ぐように】2009/6min./silent


※末岡一郎
【EXTREME SKIING in 1930】 2011/4.30mins/B/W /sound
【Vladimír Kempsk_'s film】2010/ 10mins/color/sound


※太田曜
【REFLEX / REFLECTION】2008 / 8min / color / sound
【FANTôME】2011/8min/color/sound




芝田じゅん 舞踏小劇場
http://www.geocities.jp/shibatajune/kaibutohgeki.html  
東京都新宿区北新宿1-8-21  鴨石ビル2F
(JR大久保駅北口徒歩3分 北口出て大久保通りを左、北新宿一丁
目交差点左50m、東京法務局新宿出張所の看板の前のビル2階)  
電話03-6677-3345
お問い合わせ、ご予約 distortedcinema-joei@yahoo.co.jp 太田 曜



上映予定作品作家詳細


8ミリ自家現像映画プログラム




【undercurrent】2011/5min/single
多重露光により重なり流れるイメージは暗流の様に淀み溜まっていく。イメージの反復と重なりでミニマル的な展開を目指した作品
【Drift】2011/5min/single
フィルムにより撮られた物語は、フィルムを手にし操作する者により、また新たなイメージが重ねられ物語は書き換えられる。8ミリソフトとして発売されていたピンク映画のファウンドフッテージ再編成作品


※石川亮
1984年東京生まれ 和光大学中退 都内某所で毎日35mmフィルムを扱う仕事をしている。2000年代中頃より映像制作を始める。フィルムによるコマ単位で形成された時の流れや、乳剤により映し出された物質としての時間の流れに興味を持ち、近年はフィルムによる映像作品 / インスタレーション作品 などを制作。また上映企画゛cinema cinema cinema゛(2009)゛smallformat゛(2011)や自家現像ワークショップなどの企画、運営活動を行っている。




【他人の顔(**新聞社創刊75周年記念写真帳より)】2011/3min/super
この作品は、ある日偶然拾った某新聞社の写真帳(6,000の顔写真)からイメージを膨らませてつくりました。写真帳を繰っていると、時折、他人の顔が〈わたし〉になる瞬間がありました。
【60】2011/3min/single
学生時分につくった映像インスタレーション作品を、8mmで再度つくりなおしてみました。60という数字は高さの尺度であり、30数年前の文明の尺度です。


※新井潤峰(あらいじゅんほう)/Park YungBon(パク・ユンボン)
在日3世として日本/大阪に生まれる。学生時代に美術を学び、美術館やギャラリーでグループ展を何度か行う。美術教員経験後、現在、イメージフォーラム映像研究所にて学ぶ。




【鬼火】2011/5min/single
自らの熱で溶け落ち、今もなお溶け続けているものを誰も肉眼では見ることができないでいる。その物質を普段目にしている風景の中へスライドさせることで映像化を試みる。また、事態が進行するその速度も表現したい。フィルムを用いて、肉眼では見えないものを映像化したい。


※清成晋太郎
1970年生まれ。福岡県福岡市出身。東京都小金井市在住。職を転々としたのち、現在は自然言語処理を業務とする会社に勤務する。1児と1猫と1妻と共に川のほとりで暮らしている。時折、友人のバンドに参加したりDJをしたりしている。見えないものや見たことがないものを映像化すべく、8ミリフィルムを用いた映像制作を行っている。架空のバンド、テイストオブハニーズ主宰。




【3分56秒のモラトリアム】2011/4min/single/生演奏(朗読)
何をしている時でも、全てをきっかり把握している事はあまりない。ふとした瞬間に、時間を、認識を、ふっと忘れていたりする。誰しもに現れるその瞬間は、一日につき合計平均およそ3分56秒存在する。そう考える事は出来ないだろうか。


※ムラカミヒロキ
東京生まれ東京育ち。2000年代半ばからバンドを中心とした音楽活動を始める一方で、自主制作映画を中心とした映像制作を行う。8mmフィルム小金井街道プロジェクト参加をきっかけに8mmフィルムを使った作品も作り始め、現在、ライブをしないパンクバンド「テープ・リール・フール」ラップユニット「UMoTY 」自主映画合同企画「NO波」などに不定期に参加。
http://d.hatena.ne.jp/murafake/




【センター☆センター】2011/4min/super8
故郷はいつでも中央に存在する。背景の残留する不可思議なイメージは違和感だけを残して流れつづける。
残留した故郷はいつまでもそこにあり続ける。
【agitation/攪拌】2011/3min/super8
フィルムは現像の海に放り出された。沈み渦に巻き込まれ、廻り、絡まり、定着する。その軌跡は酷く青く美しい。
フィルムを現像液の中で攪拌している間の私の夢。


※徳永彩加
1989年に頴娃町(鹿児島県)で生まる。阿佐ヶ谷美術専門学校と京都造形芸術大学に在学中。18歳の時に初めて8mmフィルム作品をつくる。それから実験映画に興味を持ち東京で8mm、16mmフィルムで映像作品を制作。撮影場所は殆ど鹿児島県。現在は16mmフィルムアニメ制作に没頭中。




【馴化】 2011/7min/super 24コマ
※水野裕基




【リンス・イン・シャンピー】2011/5min/super/18こま/光学再生
実在するイメージと、脳内でループしていた物が上手にくっつきました。制作はモノクロ8mmフィルムを自家現像し物を使い、わざと出した現像ムラの上に、そのままインクジェットプリンターで印刷を施した。
上映歴 
2011年4月 ロサンゼルス「LIGHT ON SURFACE, REFLECTION ON SCREEN」
2011年5月 イメージフォーラムフェスティバル「ヤング・スペクティブ2011」


森岡千織
2006年くらいから映像作品を作っている。2011年も作っている。なんでも、よく食べる。
http://www.youtube.com/user/moriokachiori




16ミリ自家現像映画プログラム




【夢のフランス】(16mm/color.)2009/6min/silent
テキストはフランスから帰る飛行機の中で見たフランスの夢だ。経験が夢に現れるには最低一週間かかるのにこんなに早く夢に現れるのはかなり稀なことです。流れる映像、始めはプリントミスで流れてしまったものが随分気に入って、それで意図して流れる映像を拵えてみた。上に流す、下に流す、目が追ってしまう早さで流す、追わなくなる早さで流す、色々と試みた。
【ブラッケージの夢 3・4】2011/9min./silent
ブラッケージの映画に出会わなかったらボレックスを手にすることは恐らくなかった。ブラッケージが亡くなってから撮影したネガを新たなプリントで遡る作業を始めた。テキストは僕の夢に現れたブラッケージだ。


能登
1957年、岡山生まれ、映画作家、岡山在住。1975年、映画監督を志し上京、多摩芸術学園映画科に入学、映画監督の志しを個人映画作家に修正、1978年、多摩芸術学園卒業、個人映画制作を中心にした社会生活を始める。映画製作とほぼ同時期に夢日記を始める。1988年、家庭の都合で帰岡。現在、連れ合いと2匹の犬に見守られながら個人映画制作を中心とした家庭・社会生活を営んでいる。




【IN FOG】2010/5min./optical sound
意図的な光線びきとカブリ(露光しなかった部分に生じる黒い曇り)から構成した映画である。本来は映画の撮影ではNG部分を、イレギュラーな撮影と自家現像によって多様な色調や画面ノイズ(ムラ、傷、汚れ)がスクリーン上をうごめく。サウンドは、従来のサウンドトラック部分まではみ出して定着させた像から放たれるノイズ音が響く。
【流れるように紡ぐように】2009/6min./silent
スクリーンには大幅な露出過多な画面が続き、映像は時折しか認識できない。微妙にそれぞれが違う光線びきの画面。フィルムに余分な光が入ったためNGとなる“かぶり”とも呼ばれる現象を、フォトグラムによって意図的に再現させている。HD映像が映画フィルムの再現性に近づこう近づこうといている現在、「映画フィルムでしか表現できない試み」を続けているシリーズの1本。


※水由章(みずよし あきら)
1961年生れ。映像作家、映像プロデューサー。
1980年代半ばから実験映画の制作を続ける一方で、実験映画の上映会・映画祭の企画・運営を行う。スタン・ブラッケージ作品の配給・上映活動を手掛ける。アラン・エスカル『浮世物語』(2001)、黒坂圭太『緑子/MIDORI-KO』(2010)のプロデューサーとしても活動する。作品数は40本余を数える。代表作『瞬息』(1997)、『水光色』(2002)など。




【EXTREME SKIING in 1930】 2011/4.30mins/B/W /sound
1930年11月、アマチュアシネアストの湯川孝夫氏は神戸大学・登山部の仲間と共に、スキーを担いで長野県・針の木岳にある万年雪を目指した。オリジナルフィルムは危険がつきまとう山岳スキーの冒険を描いたドキュメンター、と言える。この作品はこの古いフッテージを再現している。ところで、1930年はアマチュアによる映画制作が盛んになった時期であり、これは同時に、近代登山・近代スキーが確立された時期と符合する。彼らは最新のメディアを抱え、最新の冒険に挑んでいたのである。
【Vladimír Kempsk_'s film】2010/ 10mins/color/sound
ヴラドは妻とともに、娘エレナを連れて近所の公園へと赴いた。早春の公園で彼は無心に、あるいは偏執狂的に娘を撮影し続けていた…。
今回の作品はおよそ70年代後半に撮影された作者不明のホームムービーのフッテージを引用している。彼は幼い我が子を、折をみては撮影する。その瞬間、彼と娘の間に奇妙な空間/距離が生み出される。カメラが介在したばかり接近はおろか、常に一定の距離を保ち、まるで観察者と被観察対象の関係へと変貌する。ホームムービーが生み出す視点は傍観者としてのそれである。もちろん、こうした事は撮影者も被撮影者も意識しない。だが客観的にこうしたフィルムを眺めるならば、そこには手を伸ばすには遠い距離が存在している事に気づく。この距離こそがホームムービーを独自の外見へと導く。そしてこの外見こそはリュミエールの映画に他ならない。


※末岡一郎
1965年、札幌生まれ。東京理科大学で化学を専攻する。1985年から実験映画を制作し始め、作品数は100作を超える。1994
年ドイツ・オーバーハウゼン国際短編映画祭でノミネートされて以降、30カ国以上で招待上映される。2010年にチェコイフラヴァ国際ドキュメンタリー映画際で、2011年はスロヴァキア・ブラチスラヴァ芸術祭で特集上映される。1997年以降、ファウンドフッテージを用い、自家現像による「物質的」なフィルム作品を制作し続けている。




【REFLEX / REFLECTION】2008 / 8min / color / sound
この映画は、2008年7月26日(土曜日)に、東京の森岡書店ギャラリーで行なわれた彫刻家 山本えいし展覧会で、初めて上映された。この映画は、山本衛士個展でおこなわれた『実験映画上映とトーク』の為に制作された。山本衛士の野外彫刻2作品『王と王妃 ー季節の感情ー』『内なる空』が撮影されている。これら彫刻作品を、“ 反射・像 と 反省・内省 ”と云う観点から映像的に解釈しようとする映画だ。クロ_ムメッキされた金属彫刻の表面には周囲の光景が写し出される。反射する映像と、その外側にある“実在の世界”とで、“同じように”時間が経過している、
本当だろうか?そのような情景を撮影したフィルムを映写すると、操作された時間経過によって受容者はその映像を現実の再現として見る事は難しい。とはいっても、とくに内証が求められると云う事もないのだが・・・・。
オリジナルの撮影はスーパー8で行なった。フィルムは自家現像処理した。編集した8ミリフィルムをJ.K.オプチカルプリンターを使って現像所へ出さずに16ミリにブロ_アップした。16ミリフィルムの現像と、オトネガ作成、プリントでは職業現像所のお世話になった。
【FANTôME】2011/8min/color/sound
2009年横浜 Bank ART Studio NYK で行れた原口典之展『社会と物質』で美術家原口典之氏が制作した『ファントム』は、今は白州の栗林の中の格納庫に納められている。格納庫が作られていた2010年の夏、『ファントム』は休耕の畑に置かれていた。八ヶ岳南アルプスの山、そして空と流れる雲、『ファントム』の銀色の金属の表面を焦がす太陽、コマ撮りで撮影されたフィルムに残っているものは幻なのだろうか。目の前に、カメラの前にあった筈の『ファントム』を含む情景も、時間経過も、幻だったのだろうか。
 原口典之展『社会と物質』の後『ファントム』は白州の通称グラスハウスと呼ばれている温室の中に展示されていた。(http://dh2009.exblog.jp/11705483/
その後、専用の展示施設が作られる事になり、それが完成するまでのあいだ休耕地に置かれていたのだった。
 原口典之氏は“ポストもの派”あるいは“もの派”と語られる事も多い美術家だ。横浜の展覧会でも代表作のオイルプールや巨大なゴムの固まり(海底ケーブルを巻く芯だとか)そして、件のファントム等が展示された。それらからは確かにものそのものの存在感が伝わる。
 映画はフィルムの場合は画像が色素(カラーフィルム)で作られている。フィルムベースの上にある“もの”としての色素による画像は直接目で見る事も出来るし、フィルムベースとともに手に取って扱う事も出来る。これは、何らかの再生装置がないと画像を見る事が出来ないビデオとの大きな違いだ。フィルムはモノとしての色素で作られた画像がフィルムベースというものの上に張り付いた物質的な存在なのだ。しかし、フィルムは映画そのものではない。映写機にかけられたフィルムに光が当てられ、レンズを通ったその光がスクリーン上に投影された時に初めて映画が成立する。フィルム上にあった色素で来たものとしての画像は拡大投影され、スクリーン上に“幻影”を映し出す。
 映画には闇の中でしか生きられないという決定的な欠点がある、と言ったのはペーター・クーベルカだった。闇の中で、ものである色素で出来た画像を透過した光がスクリーンの上に幻影を作る映画。
 映画『ファントム』では、休耕地に置かれたファントムがコマ撮りで撮影された。スクリーンの上では撮影時の時間経過は圧縮される。映画でしか見る事が出来ない新たな時間経過は幻影なのか。フィルム上にある撮影時の一コマずつの画像は必ずしも幻影ではない。それら一コマずつの画像が間歇的に投影されると撮影時とは異なる時間経過、実際にはない時間経過、時間経過の幻影が現れる。
 幻と名付けられた飛行機のオブジェは、ものとしてフィルムベース上に定着され、スクリーンの上に幻影を映し出す。
 撮影はスーパ−8フィルム/カメラで行った。撮影されたフィルムは自家現像処理(E-6現像キット)し、編集された。編集された8ミリをJ.K.オプチカルプリンターを使って16ミリフィルムにブローアップした。その後は撮影した16フィルムを通常のラッシュ編集、音付け、ネガ編集という行程でプリントに仕上げた。


※太田曜
1953年東京生まれ、パリ第8大学映画科でギィ・フィマン、クローディーヌ・エジックマンから実験映画を、シュテーデル美術大学(フランクフルト)でペーター・クーベルカから実験映画と料理を学ぶ。1997年からは日本と主にフランスとの間で実験映画を通しての交流活動も行う。
http://www.tokyo100.com/ota/