近況報告を兼ねて
早くももう八月になってしまいましたが
今まで更新もせずに何をやっていたのかと申しますと
何もしていませんでした。
自分でも驚かんばかりの堕落っぷり
6月の終わりから7月いっぱいは
家からほとんど一歩も出ないで
寝る→起きる→屁をこく→寝る
と言った有様。
摂取する物は買い溜めしといた缶ビールと煙草。
そしてレンジでチンの冷凍焼きそば。
しかも煙草に関しては最後には買いに行くのが
面倒になって溜まった灰皿のシケモクを吸っていた
という、なんとも言えない状況でした。
目が覚めても身体がまったく動かないは
最早何にもする気力がおきないはで
とりあえずグダグダしてました。
そんな中、ダラダラとほぼ唯一と言える
やっていた事というのが
萌えアニメを見る
である。
もうこの時点でなんというか人としてどうなんだろう
という域に軽く達している気がしないでもないのだが
まあそれはとりあえず置いといて。
この場合の「萌えアニメ」とは何かというと
諸々あるだろうがとりあえず
「美少女キャラを前面に押し出したアニメ」
とでもしておこうかと思う。
普段この手の物をあまり見ない自分なのであるが
何故今回見たのかと言えば
素直に友人にお勧めされたからである。
ちなみに見た作品というのは
である。
まあなぜ自分が今までこの手の作品をあまり見なかったか
と言えば、単に「面白くなさそう」だったからである。
まあトップをねらえ!2の方は前作「トップをねらえ!」
(1988年作品 企画・原作・脚本:岡田斗司夫 監督:庵野秀明 制作:GAINAX)
を幾分前に見た事があったのであまり抵抗はなかった。
問題は「涼宮ハルヒの憂鬱」である。
正直この手の「いかにも」な絵はちょっとなあ・・・と思っていた。
が、まあ結論から言うと両作とも中々面白かった。
やはり食わず嫌いは良くない。
「トップをねらえ!2」に関しては
GAINAX二十周年記念作品ということもあってか中々の気合の入りようで
特にハイテンションなアクション描写や演出に関しては
流石、と言った所である。
相変わらずの骨太なSF設定も健在で
前作の設定の受け継ぎや一話から前作の有名なシーンのネタを
持ってくる等、前作ファンも楽しめる部分は多いんじゃないだろうか。
(まあ、主なターゲット層はそこだろうし)
ちなみにコレ、まだ完結はしてないようで
借りた友人に
「五話まで見たから次貸して」
と言ったら
「ないよ」
とあっさり言われて驚きました。
最終話(第六話)は8/25発売だそうで。
しいて言えば話の筋をもうちょっと練ってほしかったのと
(まあこれは完結してみないとわからんが)
メカニックな描写をもう少し盛り込んでほしかった気がしない事もない。
で「涼宮ハルヒの憂鬱」なんですが
自分は知らなかったんですがどうやらコレ
その筋では大分有名な作品のようで
というか結構な人気でメディアによっては
「オタク界のエヴァンゲリオン以来の衝撃」と謳う所もある程。
(一般人への浸透等や経済効果を考えても、実際の所はそこまでには至らないが)
詳しい話は知らないが、劇中曲がオリコンで5位に入ったりしたようなので
まあ、売れてはいるんでしょう。
こう言われてもどういう風に人気があるのかイマイチピンと来ない
という人達も多いと思うので、解り易い物として
ここにある流行りのYouTubeから拝借した
二つの映像を見ていただきたい。
まずこれがその筋で有名な「涼宮ハルヒの憂鬱」
のエンディングなんですが
http://www.youtube.com/watch?v=SHElGC9xN8E&search=%E6%B6%BC%E5%AE%AE%E3%83%8F%E3%83%AB%E3%83%92
まあ人によってはモロだなあとか
かつてのドラマ「女王の教室」のラストににてるなあ
とか色々思う所があるとは思います。
で、これがこの作品を愛する人達(途中マイケルが出てくるのは御愛嬌)
http://www.youtube.com/watch?v=O0TRGnHmMGI&search=%E6%B6%BC%E5%AE%AE%E3%83%8F%E3%83%AB%E3%83%92
いや、自分ちょっと感動しました。
(堕落しきった自分がこんな事言うのもアレであるが)
なんというか、お前達、やればできるんだなあ、と。
これだけのパワーがあればなんでもできんじゃねえかと
こんなに多くの人達に熱狂的に愛されるというのは
(お外の国の人までいるし)
制作側も作り手冥利に尽きるでしょう。
個人的な作品に対する感想としては
単純にTVアニメとして完成度は高いんではないかと思う。
細かい所の演出も中々味があると思うし(所々エヴァっぽい節はあるが)
時たまいきなりくるアクションシーンの作画やカット割りの
迫力もある。(微妙にマトリックスっぽい節はあるが)
なにより冒頭の自主制作映画を模した回なんかは
細かい所まで気が利いていて
個人的には思い当たる節があまりに多くて頭が痛くなりました。
(実際以前自分が撮った作品とまったく同じ構図のカットが
出てきた時は流石に驚いた)
何より面白いのは実際の放送話数と話の筋の構成話数を
うまく入れ替えている事である。
これによって話や謎の核心を上手く後半のクライマックスに
持っていき、かつ前半には視聴側にいい具合に謎や憶測を
与える事に成功している。なおかつそれでいて凄いのは
そんな事をしても話の筋が極端に破綻したり
中盤がグダグダになったりはしていないのである。
パッと見は適当に話をシャッフルしているようにも見えるが
これを実際上手くやろうとすると中々難しいのではないだろうか。
こういうTVシリーズならではの「編集」もありだな
と素直に関心した。こういう試みを(確信的に)して、かつ
成功したアニメって今までにもあったのだろうか、自分は初見だったのだが。
Vガンダム(本来の4話をスポンサーの意向で急遽1話に変更)
のように制作サイドの諸事情から急遽話数を変更する、というのは
時たま聞くのであるが。
「萌えアニメ」または「萌え」とは何なのか
「トップ」にしても「ハルヒ」にしても
その根底を支えているのは「美少女とSF(メカ等)」である。
これはこの手の作品の典型的な要素である。
何故このような要素は典型として存在するのか
ここで一つの面白い説がある。
「萌え」の発祥については各地で様々な説があるが
その一つとして
「燃え」→「萌え」説というのがある。
これはかつて「萌え(萌え萌え)」という言葉の以前に
「燃え(燃え燃え)」という言葉があり
それがパソコンお得意の確信的な誤変換により
「萌え(萌え萌え)」になったという物だ。(この変換についても諸説はある)
かつてから存在する「燃え」というのは主にメカニックやミリタリー物
等に対する好意の感情として使われる物であった。この点で
「萌え」とは決定的に異なる言葉である。
ここで思うのは男性(男)というのは、もしかしたら
本来男性的な目線や事物(メカや戦闘や軍事物、またはSF、科学的設定等)がないと
作品に入り込みづらい(萌えづらい)のではないか、という事である。
先に断っておくと別にこのような「メカや戦闘や軍事物、またはSF、科学的設定等」
が男性の特権であるとか特有の傾向である言いたいわけではない。
だが現時点でこれらは男性が主に趣味とし好む傾向にあるのは確かである。
(オタクがガンプラ集めるのも、ヤンキーがバイク弄るのも、
科学者が実験に明け暮れるのも、そういう面では似たような心理である)
何らかの作品に触れ、さらには萌える時、まず男性はその入り口として
「メカや戦闘や軍事物、またはSF、科学的設定等」という男性的な事物
を足がかりにして物語の世界に入り、そしてその中の女性的な事物
(単的に言えば萌えキャラ)に入り込み、そして萌えるのではないか、と。
だから「メカ+美少女物」や「戦闘ヒロイン物」や「SF的学園物」
なんかのジャンルは今だ根強く残っている。
もちろんそのような要素のない物もある。そういう場合は
「男性目線」というのが同じ役割を持つ
これの簡単な例は作品の主人公が男性の物である。
また主人公でない男性の登場人物でもいい。
似たように物語中の男性の人物をまず入り口とし、
作品に入って行くのである。
これは一般的に男性にとって少女漫画というのは幾分読みにくい
物であるが、男性が主人公だったり、男性の心理が良く描かれて
いる類の物は男性でも読みやすい、という所に似た所があるだろう。
(解り易い例は「ハチミツとクローバー」である)
最近流行りの「メガネ」や自分を「ボク」と呼ぶ女性キャラ
なんかもにたような役割を果たしているとも言える。
そう考えていくと
「燃え」→「萌え」
というのは単に言葉の発祥というだけではなく
作品に入り込む時の一つの経路である
という考え方もできる。
だがしかし、そのような要素が一切無い
単純に美少女キャラのみの作品だってあるではないか
と言われればそうである。
だがこういった「萌え」のみの作品というのは
一般人には酷く入りづらいという事を思い出してほしい。
こういった作品に入り込める(萌えられる)
という人はつまり
「作品に入り込む(萌える)事に慣れているため
最早入り口(男性的要素)を必要としない)」
のではないだろうかという事である。
つまりそういう面で彼らは一つの達人であり
作品はある意味「敷居が高い」とも言える。
ここで注目したいのはこの所謂「敷居」
が年々上がって来ている気がするのである。
これは入り込める作品が減ったというよりは
入り込む側が上手くなってきている
のではないか、という事である。
先の例で言えば「トップをねらえ!2」は
前作「トップをねらえ!」よりメカニック描写が明らかに減っている
これはもちろん監督の違いによる所も大きいだろうが
このような時代背景も無視できないのでは無いだろうか。
TVシリーズのメカ物アニメにしても出てくるロボット
は無骨さが無くなりどこかスタイリッシュになりつつある
これは「時代と共に洗練された」言えばそうだが
あの外見の変化は、男性→女性の体系変化に見えない事もない。
秋葉原が「電気街」から「萌えの街」に変わりつつあるのも
もしかしたらこれを象徴しているのかもしれない。
つまる所、全体の平均萌え没入レベルが
知らず知らずのうちに底上げされているということだ。
視点を変えれば、男性が何処か女性的な側面を
持つようになってきている、とも言えるのかもしれない。
なんというか、今回は散々萌え萌え萌え萌えと
のたうち回ってきたわけですが
結局「萌え」とは何なのだろうかと
昨今、結構あちこちで色んな「萌え論」
が学術的なものも含めて飛び交っていますが
結局の所そんなに考える事でもないだろう。
自分が思うには結局「萌え」とは「燃え」から派生した
「燃え上がる炎のような熱い感情と言うよりは
萌芽がめばえるようにホッと湧き上がる
主に女性(キャラ)に対して使われる好意の感情」
なのではないかと思う。いや、わからんけど。
萌え論の中に「萌え=をかし」説というのがある。
「萌え」とは古文でいう「をかし」に当たる単語である。
とする説である。つまりその説をなぞれば「いとをかし」は現代語で言うと
「メチャ萌え〜」になるわけだ。
実際「萌え=をかし」なのかは自分の知る所ではないが
この「知る所ではない」というのが重要で
かつて高校時代、古文の勉強をした時に
「をかし:もののあはれ」と書いてあって
「なんじゃそりゃ!!」
と逆切れしそうになったが、勉強して定義を覚えた所で
「をかし」を感じ、理解する事ができるわけではない。
それでも平安時代の人は確かに「をかし」を感じていたのだ。
現代人から「をかし」の感情が無くなったのか
または普段感じている感情の何処に「をかし」を
当てはめるのか忘れてしまったのかは知らないが
「萌え」もそういう面では同じであり
実際感じなければ解るもんでもないだろう
結局「萌え」というのはその筋の皆さんが
既存の言葉では表現できない感情を表現し
共有するために自然と生まれた物なのだろうから
また逆に言えばその言葉ができたから
その感情が生まれたとも言えるだろうが。
言葉という物は、得てしてそういう側面を
持ってるもんである。
しかし、時たま思う。本当は「萌え」なんて言葉
を解ってる人なんていないのであって、
全ては流行で「解っている気持ち」になっているだけの
言葉の幻なんではないかと。