自慢じゃないが自分はカッコつけたい人間である。
というかなんとか少しぐらいカッコよくなりたいのだ
だからカッコつけるのかもしれない。
高校時代、担任の教師との進路面談
「で、お前は将来何になりたいんだ?」
毎日を無計画極まりなく過ごしている自分が
そんな五年十年それ以上先のことなんざ
考えているわけがない。
「え、いや〜、特に無いっスね〜今んとこ」
上のセリフを思いっきり馬鹿っぽく言ってる
所を想像してもらうと、当時の雰囲気が
少しは解ってもらえるだろう。
「(溜め息)なんか少しぐらいあるだろう、
あれがしたいとかこうなりたいとか・・・」
で、無い頭を必死に巡らせて出た答えがこれである。
「うーん・・・あ、自分、カッコいい人間になりたいッス」
「・・・お前なあ、そういう事聞いてるんじゃないんだよ。
俺はもうちょっと具体的にだなあ・・・」
「いや違うんスよ、何しててもいいからとりあえず
なんて言うか、こうカッコええって思えるような・・・」
「だからそうにしても色々とあるだろうが・・・」
続きはまあ、適当に想像しといてもらいたい。
とにかくそれぐらいカッコ良さに憧れたのである
ちなみに当時思っていたのは、今となっては解らないが
おそらく外見的なカッコ良さというよりは
もっと観念的、人としてのカッコ良さだったのだろうと思う。
つまりは当時、自分は自分なりに真っ当な人間になろうと
していたのかもしれない。
というわけでチョクチョクカッコつけていた。
カッコつけているのはカッコ悪いという話も最もだが
まずは形から、とも言ったもので
カッコつけてる内にカッコ良くなるんではないかと
本気で錯覚していたのである。
そんなこんなで「カッコつける」という行為には
個人的に結構思い入れがある。
この「カッコつける」という行為、一口に
ただの見栄だのなんだのと言ってしまえばそれまでだが
自分自身を演出・表現する行為の一つだと言えなくも
ないのではないだろうか。
自分を偽っているかもしれないが
それは自分自身を演じているパフォーマンスでもあると。
だがしかし、そう考えると、カッコつけるとは
非常に大変な行為である。
先程上げたように
「カッコつけてる奴はカッコ悪い」
というように思われるのは、つまりは失敗なんである。
演技で言えば、下手糞・大根なのだ。
カッコつけるからには、見る者に
「カッコいい」と思わせなければならない。
もちろんカッコつける以上は皆がそれを目指すのだろうが
ハッキリ言ってそれを出来る者は稀である。
できなければ、ただのカッコ悪い奴な上に
「痛い」「勘違い」のようなオマケまでつく始末である。
それ相応の雰囲気と、あるいは迫力を作り上げなければ
ならないのだ。それができる奴は、カッコいい。
まさに諸刃の剣。
とすれば、世に言う「カッコいい奴」とは
意識的にしろ無意識的にしろ
単に「カッコつけるのがうまい奴」
もしくは「自分を表現・演出するのがうまい奴」
である可能性もある。
まあカッコ良さにも色々あるので一概には言えんが。
カッコつけて無い、素の自分が一番だという事もあるが
知らず知らずの内に
「素の自分を表現・演出している」
可能性だってあるのだ。
その辺はややこしくなりそうなので深く突っ込まないが
誰だって自分を良く見せようとする気持ちは
多かれ少なかれ持っているはずである。
だから自分は、カッコつける事を否定しない。
寧ろ個人的には推奨する。どうせならカッコつけろと。
ただ言える事は
カッコつけるなら
うまくやらなければならない
カッコつけている事すら気付かれない程に
もしくはそれを圧倒する程に。
一つの見方として
ステージ上で自分を最高に演出し表現し
カッコつけて、そういったジャンル
ライブといった場を作り上げる事に成功した
グラムロックなんか、好きなんだけどなあ。
まったく、カッコつけるのも一苦労である。