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講義に抗議

この間久々に、(いや本当に久しぶりに)
大学の「講義」というモンに顔を出してきた。
こういうのもボケッと眺めていると中々面白いもんであって
その人その人によってやり方の差だとか癖みたいなのがある。
聴衆(生徒)が真面目に、というか集中して聞いている
講義(授業)かどうかというのは
内容はもちろんの事その人の講義の「魅せ方」による所が大きい。


まあ一番重要なのは生徒のやる気なのは言わずもがな


そうやって見ているとこの講義や授業なんかも
ライヴやパフォーマンスなんかの一つであって
重要な部分というのは同じなのかもしれない。
同じ内容を授業するにしても
その伝え方、見せ方に関しては百とあるわけだ
だから予備校だのなんだのが成り立っている。


一番駄目、というか見ていてつまらんのは
教える内容をただダラダラとしゃっべっているだけのタイプで
なんの起伏のなく情報の羅列になっているモノ。
これは確かに聞いていると内容的には中々面白いのだが
如何せん聞いているのが辛くなってくる
こんなのは大学生、もとい予備校生からすれば


「ああ、聞かなくては、今重要な所だからメモしなくちゃ・・・
 だがしかしアルファ波が僕の脳に・・・zzz・・」


な、おねんねタイムになりやすい典型である。
この手の人、もちろん一生懸命やってこうなっている場合
も多いのだが、
「こっちは教えてやってんだしとにかく
 文句言わずやる気出してしっかり聞け
 全ては集中できない学生が悪い」
のような、「出された物は食え」的な
ちょっと横柄ともとれる態度の人に多い
(まあ、これの是非はとりあえず措いておく)
ちなみに余談だが、なんというか研究者タイプの「年寄り教授」
のような人程この手が多く、さらには年のせいか
人前にでるのが苦手なのか言っている事も聞き取りづらくて
ことさら「つまらない授業」になっている場合が多い。
これで学生が寝ているから「近頃の学生はやる気がない」
等とぼやかれても、まあそれはそうなんだがちょっと待て
という気持ちにもなって来る。
これは映画で例えればアンディ・ウォーホールの「Sleep」
(だったっけか、八時間ぐらいただひたすら一人の
 男が眠っているのを映しただけのやつ)
を見せられて、「飽きずに見ろ」と言われるのに
近い物を感じる。


話のテンポがいい人や、いちいち話が面白いタイプの人もいる
一般に「面白い授業」と呼ばれる大半はこれであるが
これは音楽でいうとクラブミュージックに近く
聞いてるうちに引き込まれてノリノリで楽しんでいるうちに
授業が終わるという物だ。
同じように、笑える面白さは無いものの
何故か話に引き込まれてしまうタイプの人もいる
思い返してみるとこの手の人は
口調が強めで、目線は間違いなくこっち(聴衆・生徒)
に向けられており、ある種訴えかけるように話す人が多い。
こういうタイプで人気がある人はいわゆるカリスマ性みたいな物があり
予備校でいう「信者」のような人が多い
また余談だがこの手の人は極端な自分の意見を挟む事が多いので
それが肌に合わないと感じる「アンチ」も多い。


ここで、前述したつまらない授業と後述の面白い授業の
差は何かというと、それは人間性でもなんでもなく
「見(魅)せる・聞かせる」という事となにより「聴衆(生徒)」
をどれだけ意識しているかに尽きるのではないだろうか。
いちいち話が面白いタイプの人は、つまり話そのものが
一つのエンターテイメント性を含んでおり
聞こえは悪いが見世物としての面白さがあるから面白いのであって
もう一方は訴えかけるように話す事によって
聴衆は無意識にも「自分(達)に話されている」
という意識を強く持つ事ができる。
一対一で面と向かって話されているのを無視しにくい
のと似た道理である。
しいて言えば前者を「落語」後者を「演説」のように
考えるといいかもしれない。(もちろん上手い下手はあるが)


もう一つ重要な所として
授業の進め方や構成の部分もある。
講義・授業にも60分90分という枠があり
その枠の中を何をどういう順序で進めるか
という事だ。
もしくは一年や期間を通して
初回に何から入り、どういう流れで
シメの授業まで持っていくかでも良い。
これは話の順序から板書のタイミングまで
まあ言い尽くせばきりがないのだが
大抵の場所でもプリント(資料配布)や
黒板やホワイトボードぐらいあるわけだし
最近の大学設備ならスライドからプロジェクター上映
まで簡単にできるわけなんだから
それらをどう使っていくかも重要である。
例えて言えば


つかみのガツンとした話

そこから授業内容に上手くつなげる。
プリントの参照

ちょいとマンネリになった所で
余談の小話

話を戻し、再び内容を深めた所で
超貴重資料映像

その解説からシメへ


みたいな大まかなモンでも起伏があるだけで
随分違うものである。
個人的に好きなのはこれが上手いタイプの授業で
受けた後に
「いやーあそこでそう盛り上げるとはなー、
 いい演出でした。今度のライブの曲順の参考にさせていただきます」
みたいな気持ちになる。


自分が思うに、こういう「魅せ方」が上手い人が
多いのは度々挙げた予備校講師である。
よく考えれば彼らは生徒の人気、受講人数が
そのまま生活に直結しているわけで
いやでも生徒側に意識を向けないわけにはいかないのだ。
大学でも教授さんより非常勤講師の方が
この辺ができている人が多い気がする。
前述した研究者タイプの「年寄り教授」につまらない授業が多い
というのもこの辺が関係しているのだろう。
また、予備校の場合、受験勉強で教える内容なんて
正直たかが知れていて、どこの学校、授業だろうが
似たようなものである。とすれば、勝負できるのは
その教え方、魅せ方に他ならないという事になるのは必然である。


そう、講義・授業とは情報の「提示」ではなく
「伝達」コミュニケーションなのだ。
物事を伝えるためにはまず相手の意識をこちらに
向けさせなければいけないし、それを離さないように
した上で、解りやすく「提示」しなければならない。
つまり伝わらなくては意味がなく
伝えるためには「見(魅)せる・聞かせる」「聴衆(生徒)」
を意識し、そのための演出は必然であると。


だがしかし、義務教育はともかく
大学、予備校ましてはそこらの講義なんてのは
十分に成熟した人間が自ら学ぶ、必要な情報を
仕入れるために行く所であり(まあ例外もあるが)
つまらなかろうが演出が下手だろうが
そこに必要な情報がある以上、頑張って聞いてモノにしろ。
というのは確かな話である。


実際、授業・講義で一番重要なのは
内容であり、受ける側のやる気である。
その他はあくまで付加要素であり
そこを履き違えてはならない。
(当然の話だが話し手のやる気によって
 受け手のやる気も変わるように
 受け手のやる気によって話し手のやる気も変わる)


ただ、生徒が頑張るのと同じように
つまらない講義・授業をしている皆さんは
「生徒のやる気が・・・」
とぼやく前に、自分の授業・講義を
もう一度振り返ってみたらどうであろうか。


どこぞのサラリーマンだって、会社のプレゼンで
似たような事当たり前にやってるわけですし。




でも、いるんだよなあ、まったく面白くもなんともない講義で
全部聞いて完璧に頭に入れた上メモまでとっちゃう人。
やっぱり聞き手の問題ですかね。これは。